たぬきの読書

読んだ本の感想やら

ひと  小野寺史典

 

 

 

今回読んだ本はこちら。

 

20歳にして、母の急死によりたったひとりになった主人公の柏木聖輔が、その年齢では身に余る孤独と向き合い、アルバイト先の惣菜屋、大学時代の友人、高校時代の旧友等彩り鮮やかな人間関係を通じて自身の人生に向き合っていくストーリーである。

 

この本の魅力的な部分は主人公の聖輔の誠実さである。高校時代に父を亡くし、次いで母も亡くなってしまう。すべてを失った人、状況としてはどん底を経験しているからこそ、ほかの同世代と比べて余計な執着、おごり、プライドがなくフラットなものの見方ができ他人の気持ちを汲み取れる、そんな男だ。

 

とは言っても超然として卓越した精神の持ち主というわけではない。自分の運命と強烈に向き合うことで前に進んでいく。この本に登場するメンバーはおかずの田野倉の職員をはじめ心温かいひとが多い。しかし、人生はそううまくいくことばかりでなく、金銭をたかる親戚、”高位にいるが故に普通のひとの気持ちがわからない”旧友の元カレなど、さらし追い打ちをかけるような人間も登場する。

 

そういった人からも逃げず、考え、向き合い、決断する。

 

孤独になった等身大の20歳の成長、人生の向き合い方はグッとくる。

 

 

話としては大どんでん返しがあるわけではなし、めまぐるしく展開が動くということはない。しかし、人生はそんなものかと思うので、等身大という意味では良いのだろう。

 

温かい気持ちに心包まれる一冊であった。

 

仕事ができる!男のビジネスマナー~社会人に必要な「基本と常識」~

 

 

 

この本には社会人として働いていく上で必要な基本的な知識がすべて詰まっていた。

 

基本的なマナーや知識、ノウハウは”知っていて当然”とされることが多々あるが、実はすべてを網羅している人は少ないのではないかと思う。

 

その中で、この本は良い。

この本には

 

・訪問・接待・案内のルール

・電話とメールの基本

・ビジネス文書の常識

 

という章がある。

 

こういった本によくある身だしなみやら敬語やらそういった部分だけでなく、

 

仕事をする中で実際に役に立つテンプレートや各種様式などを知ることができる。

 

 

 

恥ずかしながら私は最近になって 記-以上 で結ぶということを知りました。

そういったことから学びなおした次第でございます。

 

普段の仕事にもすぐに活かせる知識が多く、基礎固めにはもってこいの一冊でした。

三千円の使いかた 原田ひ香

 

 

この本は誰しもが生まれてから死ぬまで付き合わなければいけない”お金”について深く考えさせれらる本であった。

 

物語には20代の結婚前のカップル、30代の夫婦、50代の父母世代、70代のおばあちゃん世代と多様な年齢層の者がそれぞれ”お金”について向き合い、人生を歩む話である。

 

お金について真面目に考える。真剣に考えることが苦手な人に勧めたい一冊である。

自身は将来のことなど考えず、目の前のことに夢中になりお金も好きなように使ってしまうたちであるが、そんな私でも”お金”については真剣に考えなくてはいけないと思わされる一冊であった。

 

お金についてシビアに書かれているからこそ、それにまつわる人間模様も時に痛切に、時に暖かく描かれている。

 

表紙からも想像できるが全体的にほっこりできる仕上がりになっている。しかし、”お金”というテーマを扱っているからこそ、どこか逃れられない現実感というものも同時に存在している不思議な本であった。

春にして君を離れ アガサ・クリスティ

 

 

 

ミステリの女王が描く夫婦模様はやはり一味違うものであった。

 

この本の面白みは自己との対話による大きな変化とそれと対比して停滞する現実のコントラストであると思った。

 

 

主人公のジョーンは一人での退屈な旅程を経て、普段は意識することのなかった自身について顧みることによって、一般的な価値観に従うのみで、家族の気持ちを汲み取ることもせずに過ごしてきた自身の姿をみる。自分はできた妻であり、母であると思っていたジョーンにとっては衝撃的であった。家族にとっての癌は自身ではないか、と思い立ち心を入れ替える決意をするも、その決意は日常に溶けて消えてしまう。

 

 

日常生活や、習慣というのは恐ろしいもので、自身を本当の課題から遠ざけてしまう。あんなに内省し、自身の行動のすべてが過ちにまみれていたと気づいたのにも関わらず変われない。

 

 

何もしない時間というのは新たな自分を発見するいい機会なのかもしれない。そのとき感じ取った直観や気づきを日常に溶かしてしまわないように意識して生きていなかければと感じる一冊だった。

自分の中に毒を持て  岡本太郎

 

 

 

 

今回読んだ本は、岡本太郎著 ”自分の中に毒を持て”

 

表紙の岡本太郎さんの写真からバリバリとその人生にかける情熱というか、芯のようなものが伝わりますよね。

 

写真に負けず、中身も熱い内容でした。

 

 

いのちを賭けて運命と対決するのだ。

そのとき、切実にぶつかるのは己自身だ。

己が最大の味方であり、また敵なのである。

 

と表紙裏に大きくある。

 

彼の生き方は主体的そのものであり決して社会の押し付けには屈さない。

 

 

 

無条件に、無目的に自分自身を解放、すなわち爆発させる。

 

 

 

幼いころは無自覚にできていた。大人になった今、手段もエネルギーだって負けずにあるはずなのに、世の中の慣習にならって出る杭となれない自分を実感させられました。

 

 

自分の中に自分と対峙できる毒を少しでももち、自分の内面を意識して生活していきたいですなあ。

 

 

終わった人 内館牧子

東大卒でメガバンクに就職。そんなエリート街道まっしぐらな男への突然の子会社出向命令。終わったと思いつつも職務を全うし、定年を迎えた。生き甲斐、居場所を求めさまよう彼に光はさすのか、、、

そんな話でした。

定年、老いは誰しもが迎えてしまう逃れられない問題ですねー

毎日働き詰めの今から考えると、楽しみでしょうがない定年後ですが、そうではない面も多々あることを思い知らされました。

趣味というのは忙しい時間の間を縫って工夫して精一杯取り組むのだから楽しいのであって、よほどの情熱がなければ毎日取り組めるものでもないのでしょうね。

今の私からするとあまり実感も湧かないですが、、、

今回の主人公は定年後の喪失感に満ちた退屈な生活の中になんとか新たな生き甲斐を探そうと、カルチャースクールに通ったり、ジムに通ったり、恋に走ったり、社長に就任したりしました。

社長になったことで水を得た魚のようにイキイキとしていましたが、それも結局倒産により続かず。

夫婦仲も険悪になり、最終的には合意のもと卒婚という形で別居することとなりました。

人生というのは先が分からないことだらけだなと感じた次第です。

エリート街道まっしぐらだったのに、出向

何事もなく夫婦で暮らしていたのに別居

十分な資産があったのにすっからかんへ

また本書では一人の男の人生に着目して話が進むわけですが、その中で

①夫婦関係

②故郷

の2点は特に照準があてられているように感じました。

確かに考えてみると、夫婦関係は一生背負っていくところがあるし、

故郷は間違いなく自分の基礎を形作っているように思います。

夫婦関係について、娘の道子が大変もっともなことをいっていて関心しました 「そりゃパパのやったことは悪いよ。一切、ママに責任はない。だから、方法は二つしかないってこと。別れるか、元に戻るか。考えてもみなって。ママは一人では食べていけないと思って結婚したんでしょ。どうせならいい暮らしができそうな、東大出のメガバンクの男をつかまえたわけでしょ。もしも、結婚した男が一生、ずっと健やかで豊かで、自分を幸せにしてくれると思っていたなら、ママはバカ。妻になれる器じゃない」 「二人ともさァ、利害があっても、チャペルで『健やかなる時も病める時も』って、神に誓ったわけでしょ。今がパパの病柄める時ってことだよ。ママ、カバ ーする気ないなら別れなって。九千万の負債ってだけで、誰もママのこと悪くいわないよ やっぱり夫婦になるということは、いい時だけを見るのでなく、むしろ最悪の事態になったときでも助け合って行けるのかどうか、その覚悟があるかどうかで判断しないと行けないと切に思いました。 第二のテーマの故郷についてもやっぱり自分にとっての理想郷があるとしたらやっぱり故郷になると思いますね。 小さい頃から過ごしているということで、やっぱり思い出と戦っても勝てないんでしょうね。 どうやっても幼い頃のような純粋な気持ちで物事を体験することはできなくなってくる。 だから、一番鮮烈で濃い体験の多く詰まった故郷。 勝手知ったるその故郷に戻りたくなるのかなと思います。私も定年後は故郷、または故郷の県には定住したいですなー それではまた。

悪意の手記   中村文則

 

 

この本の内容は、15歳で死に至る病に冒され生死の境をさまよった少年が、その経験からこの世のすべてを憎悪し、親友を殺してしまうところから始まる。

親友を殺し自分も死のうと考えていたが、自殺することはできず、その後も罪を背負いながら生きていく。人殺しという罪を苦悩しない人間の屑になる決心をし、生きる。その中で揺れ動く感情を鮮やかにかきだしたものである。

 

 

この本を読んで思ったことは

 

やっぱり人間だなあ ということです。

 

親友を殺したがそれについて何も感じない、苦悩しない屑になる決心をした割には、終始人殺しの罪を意識して生きているように感じました。

 

自分と同じように苦悩しながら生きる悪人の武彦や、善人であり好意を寄せてくれ時には正しい方向へのヒントをくれる祥子、Kの母親と重なるリツ子の存在など、、、

 

心動かされる人間模様の中で、何も感じないはずの自分が、何も感じてはいけないはずの主人公がどんどん人間的になっていきました。

 

なにも感じてはいけないと自分の感情に幕を下ろして生きていたときにはなかった変化です。

 

 

どうして罪を自覚するまでにこんなに時間がかかったのかなーと思うと

無意識の中で自分を守っていたんじゃないかなと思います。

 

病気により生を憎悪して、絶望の中死ぬ覚悟を決めたのに、回復してしまい、茫然自失のなか、どうせ死ぬならと思いつきで親友を殺し、自分はみっともないことに死ぬこともできず。

ならば苦悩せず生きてみせようと思うが、本来そんな感覚を持つ人でなかったのでそれもうまくいかず。

そんな自分を直視するのはきつい。から感情をなくしたふりをして守っていたんじゃないかなーと思います。

 

 

祥子が「すぐに死をちらつかせるのは自分の殻に閉じこもった卑怯な人がすることだよ」みたいなことを言っていましたが、これにはしびれました。

 

物事の関心が内に、内に、といってしまうとこのようなことになってしまうのかもしれないですね。

 

実際、自分の中の問題なんて、外の世界にはそう影響がないことは多々あると思います。

 

 

自意識過剰に注意して、外に関心を向けることをこころがけたいものです。