悪意の手記 中村文則
この本の内容は、15歳で死に至る病に冒され生死の境をさまよった少年が、その経験からこの世のすべてを憎悪し、親友を殺してしまうところから始まる。
親友を殺し自分も死のうと考えていたが、自殺することはできず、その後も罪を背負いながら生きていく。人殺しという罪を苦悩しない人間の屑になる決心をし、生きる。その中で揺れ動く感情を鮮やかにかきだしたものである。
この本を読んで思ったことは
やっぱり人間だなあ ということです。
親友を殺したがそれについて何も感じない、苦悩しない屑になる決心をした割には、終始人殺しの罪を意識して生きているように感じました。
自分と同じように苦悩しながら生きる悪人の武彦や、善人であり好意を寄せてくれ時には正しい方向へのヒントをくれる祥子、Kの母親と重なるリツ子の存在など、、、
心動かされる人間模様の中で、何も感じないはずの自分が、何も感じてはいけないはずの主人公がどんどん人間的になっていきました。
なにも感じてはいけないと自分の感情に幕を下ろして生きていたときにはなかった変化です。
どうして罪を自覚するまでにこんなに時間がかかったのかなーと思うと
無意識の中で自分を守っていたんじゃないかなと思います。
病気により生を憎悪して、絶望の中死ぬ覚悟を決めたのに、回復してしまい、茫然自失のなか、どうせ死ぬならと思いつきで親友を殺し、自分はみっともないことに死ぬこともできず。
ならば苦悩せず生きてみせようと思うが、本来そんな感覚を持つ人でなかったのでそれもうまくいかず。
そんな自分を直視するのはきつい。から感情をなくしたふりをして守っていたんじゃないかなーと思います。
祥子が「すぐに死をちらつかせるのは自分の殻に閉じこもった卑怯な人がすることだよ」みたいなことを言っていましたが、これにはしびれました。
物事の関心が内に、内に、といってしまうとこのようなことになってしまうのかもしれないですね。
実際、自分の中の問題なんて、外の世界にはそう影響がないことは多々あると思います。
自意識過剰に注意して、外に関心を向けることをこころがけたいものです。