たぬきの読書

読んだ本の感想やら

消えない月   畑野智美

 

 

久々にページをめくる手が止まらない本でした。

3日ほどかけて読みましたが毎日続きが気になるような気分で読み切れました。

 

この本は帯に”ストーカー小説の最高傑作!”とあるようにストーカーを題材にしたものです。

マッサージ店の客と店員という関係から始まり、

 

この人とは合わないな、、、別れよう、、、

 

で全てが終わるはずだったのに、かみ合わない気持ちが徐々にエスカレートしていき、、、 という話です。

 

ストーカー小説の最高傑作と言われても、まずストーカー小説を読むのが初めてでした。

それでも、ストーカーという人種がどれだけ狂っているのかを客観的に理解するには素晴らしい教材であるように思いました。

 

この本はハラハラする先の読めない展開からどんどん読み進められる作品ですが、気持ちよく読めるか、というとそうではありませんでした。

 

河口先生(女)は松原(男)がとんでもないイカレ野郎だと分かるような場面であっても、自分に責任を感じてうじうじして歯切れの悪い部分があります。

 

松原は松原で、かなり歪んだものの考え方で、他人の意見は全く聞き入れず正しいと思ったら考えを変えません。端から見ると道理に合わないことだらけなのにそれがわからない。

 

正直なところどちらのパートを読んでも気持ち悪いと思う部分は多々あります。

 

 

その気持ち悪さがなんだろうと思うと、アニメなどのつくりもののキャラクターのように行き過ぎた性格のようだからだと思いました。

 

さすがにこんなやついないだろ、、、という感じ。

 

しかし、その気持ち悪さというのが現実離れしているように見えて実は現実を映しているようにも感じました。

 

自分に照らし合わせると、自分の中にも河口先生のようにうじうじして物事を決断できないような、周りに気を使って意志決定できないような場面がありますし、松原のように自分勝手で相手のことを考えないで都合のいい解釈ばかりしている場面もあります。

 

そこが図星で浮き彫りになっていたからなんだか嫌な感じがしたのでしょう。

 

 

 

読み終えて、客観的に自分を見ることがどれだけ大切か思い知らされる本でした。

この2人がこの本を読んでから出会っていたらこのようなことにはならなかったと思います。

 

自分という肉体を使ってゲームをするプレイヤーのような気持ちで意思決定をしていけば、正しい方向に行きそうですがそうもいかないですねー

 

精進ですね。

株主はじめました いちばんカンタン!株の超入門書  雄山スズコ 安垣理

 

株主はじめました (メディアファクトリーのコミックエッセイ)

株主はじめました (メディアファクトリーのコミックエッセイ)

 
いちばんカンタン! 株の超入門書

いちばんカンタン! 株の超入門書

 

 

株主はじめました

何も知識のない人が相手であっても漫画形式で進む話を読んでいくことで、口座開設から購入売却までの流れを学ぶことができる。

 

 

株の超入門書

上記の本よりはやや専門的。はじめ方はもとより、銘柄の分析法など、具体的な戦略が多く載っているので、初めてある程度たったひと向け

マクベス  シェイクスピア

 

マクベス (新潮文庫)

マクベス (新潮文庫)

 

 シェイクスピアの4大悲劇

マクベス

ハムレット

リア王

オセロー

のひとつ

 

齋藤孝先生が、絶賛する刺激的な文学表現ということでシェイクスピア作品に挑戦しました。

 

要約

徳深く、多くのものから支持を集めていたダンカン王。その王に仕える勇猛果敢な武将マクベス。謹厳実直、忠義を自身の大義に掲げる誠実な男であった。しかし、三人の魔女の奇怪な予言にそそのかされ、自身の個人的な野心を実現させるために欲に溺れ、行動を起こす。王、戦友であるバンクォー、マクダフ一族の暗殺、魔女の教唆に従い、自らの手を血に染め、王位という自らの望んだ地位を手にしてなおあまりある不安感に苛まれるようになった。幻覚が見え、精神的に弱りきってしまった彼は、その異常性、不義、欲に溺れる悪魔だということを多くの者に見抜かれ、謀反を起こされ討ち死にする。

 

 

話のストーリー自体はシンプルなものでどんでん返しがあるわけでもないが、特筆すべきなのは、言葉の表現の美しさ、精緻さである。四字熟語による表現、比喩。

なにより驚いたのはより正確な像を想起させる比喩である。村上春樹さんの作品の比喩も目を見張るものがあるが、それと同等、もしくは超えるような印象を受けた。

読書力 齋藤孝

今回読んだ本はこちら

 

読書力 (岩波新書)

読書力 (岩波新書)

 

 

 

この本は、まず読書力とはどういうものであるか。ということから始まる。

要約力、読書習慣の有無、具体的なところでは、緊張感の伴う読書として

新潮文庫の百冊を読んだ、という指標も示される。

江戸時代の識字率、日本人の勤勉性などの文化的発展に読書が大いに関係していることを示す。

そして、読書が自身にとってどのように活かされるかを述べていく形だ。

章は三章でなっており。

自己形成としての読書。自分を鍛える読書。コミュニケ―ションとしての読書が大きな柱となっている。

三章とも共通して語られる事柄は効果的な読書の技法である。どのように本と向き合うか、著者の考えが述べられている。

身銭を切って本を購入する、三色ペンで記入しながら読む、読んだら経験を人に話す、など、テーマによって書かれ方は違うが習慣としての読書とどう相対していくか、著者の考えが分かる。

 

自分と向き合いながら、他者を知る、その非日常な”体験”から自分の中にたくさんの師を共存させる。物事の広きを知ることで客観性が出てくる。ひとつのことを絶対視したり、これと決めたもの以外をいけないと論じるような偏狭な考えに陥ることを防ぎ、幅広く雄大な自己を形成するのに役立つ読書

 

読み聞かせや音読などが持つ絶大な効果を例に挙げ、言葉、語彙力を身に着け、彩鮮やかなイメージ喚起を楽しんだりと、技を磨く、スポーツと共通する読書。

 

単純なように見えて分析してみると複雑な日常会話。相手の話すことの幹からずれずに枝葉へ繋げていく。その練習として。そして、本の話をすることでお互いに知識欲を鼓舞し、より精神的、知識的向上を目指せるツールとしての読書。

 

読書の効用を自己形成、表現等の技術として、そしてコミュニケーションとしてということを主軸として、多角的に述べ、そしてより効果的な読書との向き合い方が語られている本。

Audio drama 暗闇の訪問者 藤沢秋

今回は読書と違いますが、オーディオドラマというものについてです。

音声だけで繰り広げられる劇のようなものですね。

youtubeで長距離運転用のコンテンツを探していた際に見つけました。

 

 

概要

家出をして、住宅展示場に忍び込んだ女子大生”夏葉”

中には家出少年、中学三年生の遼太郎がいた。

子供の頃の充実した時代に思いを馳せる夏葉

大人への憧れに思いを馳せる遼太郎。

思いは違うが家庭に問題があるという共通点のある二人の逃避行

逃避行の末、二人の気持ちにはどんな変化が起こるのか。

 

 

 

 

 

要約

家出をした女子大学生の夏葉。母親が再婚して1歳の弟がいる。新しい父親は夏葉の事を邪魔だと思っている。母親も形だけは受け入れる形をとっているが実際には自分のことで精いっぱいで邪険にしている。

家出先の住宅展示場で出会った中学三年生の家出少年、遼太郎。

50円アイスを食べたことがない、けれども実家の部屋の壁紙は、立派な家庭を窺わせるもので、育ちの良さがうかがえる。

 

二人の住宅展示場を拠点とする家出生活を主軸に物語は進む。

ひょんなことから住宅展示場でパートとして雇われた夏葉。

一生懸命仕事に打ち込み、持ち前の知識を活かして、業務に取り組み、同僚、上司からも評価が高かった。その取組を母に褒めてもらおうと誕生日に家に行くがけんもほろろに突き返される。

充実した仕事に打ち込む日々は、住宅展示場内で生活していることが社員にバレることで突然終わりを告げる。

遼太郎の実家に逃げ込み、遼太郎の家の母親の狂気に触れ、二人で逃げる。

遼太郎は密かに思いを寄せていた夏葉へ思いを告げ、大人になってから迎えに行くからと宣言する。

夏葉は、遼太郎の自分のことは自分で決める、という人に影響されないところに感銘を受け、自身の生き方を見直し、強く生きていこうと思いなおす。

 

 

バカの壁 養老孟司

今回読んだ本はこちらです。

 

バカの壁 (新潮新書)

バカの壁 (新潮新書)

 

 養老孟司先生著 バカの壁です。

 

著者である養老孟司先生。

昆虫とかの解剖をやってる学者だったよな。。。くらいの認識しかなかった私。

 

有名な方なので、みなさんはよく知っているかもしれませんが

一応著者の紹介です。

 

養老 孟司は、日本の医学博士、解剖学者。東京大学名誉教授。神奈川県鎌倉市出身。 2003年に出版されたバカの壁は419万部を記録し、戦後日本の歴代ベストセラー4位となった。

 

 

 

2003年に出版されたとは驚きました。今の感覚とそう違いはなく、違和感なく読むことが出来ました。

 

 

読み始めると、最初のうちは哲学的で難しい内容だなあと思っていましたが、

とりあげられるあらゆるテーマは我々人間に共通する普遍的なテーマに関するもので、

医学、解剖学の門外漢である私にもある程度理解しながら読むことが出来ました。

 

 

 

人間の脳内の反応を一次方程式で示した

y=ax

(y=出力、a=脳の中でかけられる係数、個人の感情などによるもの、x=入力)

として示しました。

当たり前となっていたことを明確に数式化されたことで、そういえば確かにこの法則で自分の中の反応は起こっているなと実感させられました。

 

 

印象に残っている節のひとつに

共通了解と個性の話

があります

文明の発展は共通了解が深く関係してきた。

人と人が情報、感覚を共有することによって共同体としての進歩が進んできたという理論である。

そこで、昨今の個性を誇大に尊重させる教育へ切り込んでいく。

個性なんてのはわざわざ意識するまでもなく備わっているものであって、

自分自身が心がけて喧伝していくものではないという。

人類の文明が進歩してきた方法と今の行動はあべこべになっているという。

 

こういった、自分の中では当たり前すぎて、深く考えることの対象にもならないことを考えさせてくれるという点では、少し前に読んだ、落合陽一さんの「日本再興戦略」を思い出しました。

 

 

 

自分自身は不変のものである!という思い込みの誤り。

これも、自分には全くなかった考えでした。

 

自分自身の意思は連続しているもので不変のもの!

私はこういう人間だ!

 

私は、こういった考えを持っています。そして正しいことだとも思っていました。

しかし、昔はこうじゃなかったのになー、

なんか自分ってこんなだったっけなー

なんて思うことが増えてきました。

 

しかし、

万物は流転する

というようにすべてのものは移り変わっています。

情報などの固定的なものは不変でありますが、

人間のような生物は変わっています。

5歳の時の自分と今の自分。

顔つきも身長も何から何まで違います。

y=ax この数式によって様々な反応が加わっています。

 

そんな自分が昔の自分と同じなんてとんでもない。

 

朝道を聞かば、夕死すとも可なり

論語の言葉を引用していました。

 

物事を”知る”ということはそれだけ劇薬であり

それのみでモチベーションになりうるべきはずのものである

 

見える景色がまるっきり変わるなんてことも容易に起こりうる。

 

そういう考えは私にはなく、不変でない私はおかしい!

と思い悩むことがありましたので、いいヒントになりました。

 

また、人間の無意識にも触れ、

寝ている時間は無意識になっている私たち人間は

不確かで、一元論的に物事を決めてはいけないというお話もありました。

 

 

街の都市化(人間の意識によって作為的に作られたものになっていくこと、碁盤の目のような都市を作ったり、人の接する空間が、人工化していること)

意識化したされた街にいては無意識との間に齟齬がでてくるなど、、、

 

 

凡人の私には日常の中で気づきもしなかった様々な話題を取り上げています。

人間の脳、身体、風習

文明の進化

経済状況

教育

様々な角度から”バカの壁”について考える。

一流の教養と知識がある養老孟司先生だからこその着眼点だと思いました。

 

疑う常識なんてないよ!と思ってる方は読んでみると

考えもしなかった”当たり前”になっていたことへの発見があって楽しいかもしれません。

かび 山本甲士

今回読んだ本はこちら

 

かび(小学館文庫)

かび(小学館文庫)

 

山本甲士さんの「かび」です。

 

少し前に読んだ「ひなた弁当」を読んだ後の爽快感

読み心地の良さ、物語にぐいぐい引き込まれてしまい目が離せない感覚。

 

この感覚を味わいたくて、山本甲士さんの違う作品に挑戦してみました。

 

 

この本は約430ページもある長編です。

 

物語は主婦の伊崎友希江を中心に進みます。

舞台は大阪の中央に位置する八阪市。

八阪市に本社を構える大企業、ヤサカ研究所に勤める夫の文則。

そして幼稚園に通う娘の理沙。

 

主婦の伊崎友希江は、日々の生活に満足もしていなければ不足も感じていない。

多くの人がそうであるような一般的な主婦のいざこざに悶々とする普通の主婦である。

 

旦那との冷え切った関係、好きでない義母との関係、娘の通う幼稚園でのいざこざ、、、

 

誰しもが大人になるにつれ直面するしがらみに悶々としつつも、満足もしなければ不足もない、ただ生きているような状態であった。

 

 

そこで突然の夫の脳梗塞

会社は労災を申請しないで欲しいと圧力をかける。

 

「身体壊すまで働かせて、後はさいならですか」・・・

 

もう我慢はしない!!

 

いち主婦が繰り広げる大企業八阪への報復劇

 

自分の中に潜む獣のリミッターが外れたとき、人はここまでできるのか、、、

 

頭のねじが外れた友希江の豪放かつ大胆な復讐の数々に目が離せない!!

 

 

 

以下ネタバレ

 

 

 

 

 

 

 

読んでいる途中、ずっと思っていた

「この話どう着地するんだ?」

一般的な小説のハッピーエンドって、勧善懲悪的なところがあると思うんですね

主人公に感情移入して、その主人公が成功、または精神的な成長なんかをして終わり

っていう感じの。

 

 

しかし、この話は一味違いました。

もう我慢はしない!

そう吹っ切れた友希江の大胆さは常軌を逸しています笑

 

パート先の同僚に食って掛かるわ、社長には灰皿を投げつける。

証拠を押さえるために録音するなんてのは当たり前。

ヤサカ時代の同僚にだって意地汚い言い合いをするし

社長の娘の男と同僚を結婚させたり(書類偽造で)

社長の愛人宅へ忍び込んだり

自殺した相談室課長の家に忍び込んだり、

最後の方にはカツアゲしてきた若者二人を階段から突き落としたりしていましたね。

 

 

そんな様子から、

あまりにも行き過ぎている、、、

と正直なところ思いました。

 

そこから、全てがハッピーエンドでは終わらないだろうし、どうなるんだ?

とページをめくる手が止まりませんでした。

 

 

「ひなた弁当」では

人間の汚い感情等はあまり描かれず、人間として活き活きと昇華していく良郎に対して

かつて周囲にいた人間たちを悲哀を持って描き、

現在の人間関係は相乗効果で高めあうような関係になっており、主人公がより輝くものとして描かれていた。

 

 

しかし今回の作品では

 

汚い感情と汚い感情の真っ向勝負!!

 

これが今回の作品の一番の魅力であると思います。

 

 

元来の友希江は、

靴を隠されても息を殺して隠れてみているだけでした。

階段から突き落としてやろうか、一瞬そんな気持ちがよぎるも行動に起こすつもりはさらさらない。

 

義母の嫌味に心の中では反論している。

 

幼稚園でのいざこざについて真実を明らかにせず

(市議会議員の子供だけ扱いが違うことなど)

表面的に波風立たないように解決させる。

 

波風立たないように解決させるって

私はすごい共感できます。

なんでもはっきり言いすぎると角が立つものですから、

本音は頭の中だけでぐっとこらえとくんですよね。

 

 

そんな友希江が吹っ切れて、我慢をしなくなったら。。。

 

 

意外と何とかなる!!

 

かつての同僚、幼稚園での人間関係など悪化はしました。

 

しかし、吹っ切れた友希江は

媚びてつなぎとめるような人間関係には頓着しません。

 

 

自分の気持ちに素直に従い、自分のやりたいように行動を起こします。

 

そんな彼女の姿はかつてのしおれた

死んでいるように生きていた姿とは全く異なり、活き活きとしています。

 

その狂気から仲間という仲間はついぞできずじまいでしたが、

 

本人の主観では物事が着々と進む充実感のあったことでしょう。

 

映画の「JOKER」に似た美学を感じました。(最近みてきました)

 

 

 

やはり最後の最後までハッピーというようには終わりませんでしたが、

友希江はたくましくなりました。

人間だれしも心の中に友希江のような狂気を抱えていると思いますが、

 

それを解放したらどうなるのか。。。

 

 

人間万事塞翁が馬といいますから、良いも悪いもないかもしれないですね。。。

 

人の狂気、について示唆を与えてくれる貴重な一冊でした。

 

 

 

物語としても過去の印象的な出来事だとか、人間関係にも丁寧に伏線が散りばめられており、「ここでこれが効いてくるのか!」「ここでこいつが出てくるのか!」といったように各所で楽しませてくれます。

一番楽しませてくれるのは間違いなく友希江の狂ったようにもみえる行動の数々ですが笑